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カール・パーマー(Carl Palmer, 1950年3月20日 - )はイギリス出身のドラマー。エマーソン・レイク・アンド・パーマー、エイジアなどのプログレッシブ・ロック界を代表するバンドの一員として知られる。 「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において10位。 ==略歴== バーミンガムのハンズワース生まれ。12歳でドラムスをはじめ、13歳の頃には同じ学校に通っていたスティーヴ・ウィンウッドとバンドを組んでいる。その後、バディ・リッチやグレン・ミラーなどのアルバムを聴きながらレッスンを続け、ダンス・バンドでプロ活動を開始。ブルース・バンドのキング・ビーズではレコードのリリースやテレビ出演の機会も得る。 1967年、クリス・ファーロウが率いており、デイヴ・グリーンスレイドやアルバート・リーが在籍していたサンダーバーズに加入。サンダーバーズはシングルの「アウト・オブ・タイム」がヒットしたのをきっかけにイミディエイト・レーベルのアンドリュー・オールダムと契約する。 1968年、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンに加入。トラック・レコードからリリースしたシングル「ファイア」がヒットした。 1969年、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンのツアー中のトラブルのため、同じくメンバーだったキーボードのヴィンセント・クレインとともに脱退。この2人にベースとフルート奏者のニック・グラハムが加わり、アトミック・ルースターが結成される。翌1970年、B&Cレコードと契約し、3月にバンド名と同名のファースト・アルバムをリリース。 その直後、グレッグ・レイクより新バンド結成のオファーがあり、アトミック・ルースターを脱退。エマーソン・レイク・アンド・パーマー(EL&P)の結成に参加する。EL&Pの世界的な成功とともに、カール・パーマー自身も高い人気と評価を得る。 1980年のEL&P解散後にはエイジアの結成に参加。ファースト・アルバムが商業的に大成功を収めた。エイジアの一員として活動中の1986年にはEL&P再結成のオファーを断った(代役としてコージー・パウエルが参加した「エマーソン・レイク・アンド・パウエル」が結成された)。一方で、1988年にはキース・エマーソンと共に「3」に参加している。 1990年代にはエマーソン・レイク・アンド・パーマーの再結成に参加。2枚のスタジオアルバムのほか、ライブアルバムやライブDVDを発表するなど断続的に活動した。パーマー自身は2010年7月のロンドンでのライヴがEL&Pとしての最後のパフォーマンスだと語っている。 現在はオリジナルメンバーで再結成したエイジアの他、自身のトリオ編成バンドであるカール・パーマー・バンド、ドラムクリニックなど多方面で活躍している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール・パーマー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Carl Palmer 」があります。 スポンサード リンク
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